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原告全面勝訴だった時の未来
【5167】 ぶきゃこ 2015/11/14(Sat) 14:58
FJNさんのブログ★click here★で紹介されているツイートを見て思ったのですが、この方のおっしゃる「原告全面勝訴だった時の未来」とは、「任意性がきちんと担保されるようになった未来」とイコールでいいんでしょうか?
つまり、PTAが他の団体と同じように、きちんと説明をおこなった上で入会の意思確認を取るようになると、
@学校へのチェック機能の低下
A保護者の連携不足による問題の多発
B「やりたくないことはやらなくていい」と親が子どもに教えるようになる
C「人と付き合わなくてよい」と親が子どもに教えるようになる
という4つのことが起きる、とおっしゃっているように読めます。

なお、この発言をされている個人に対してどうというのはないので、個人をどうこうするのが目的ではないのですが、少なからず似たような発言を、他のコミュニティでも時々目や耳にするような気がしますので、そのたぐいの懸念が妥当なのかどうか、この場を借りてちょっと考えさせていただければと思い、トピ立てしてみました。

とりあえず@なのですが、そもそもPTAが果たしている学校へのチェック機能とは、現状どういうものなのでしょう?

私は、素でここがわからなかったりします。
学校評議員会に多くの場合PTA会長が加わることはあるのでしょうが、それを指しているのでしょうか?
それとも、学校長は学校運営や授業のあり方などについて、PTAという組織と何か相談をしたりしているのでしょうか?
おねだり的な相談は除いて。
以前、「PTAは教師の挙動に目を光らせている」と言った方に遭遇したことがありますが、「職員室をちょくちょく覗いているという意味ですか?」と尋ね返したら具体的な答は返ってきませんでした。。
PTAがなくなったら、校長や他の教員が何か好き勝手なこと(のうち今までやっていなかったことw)をはじめるのでしょうか?

追記
ちょっと編集した(笑)のでついでにAも。

保護者の連携不足による問題の多発、というからには、
A.PTAが事実上の強制加入を維持していることにより連携が保たれている。
B.その“連携”により、抑制できている問題が存在する。
という2つの事実の検証が(発言者本人は)出来ていると思われるのですが、良くわからない私のためにどなたかお詳しい方に解説いただけると嬉しいです。

Aは、単純な連携の効果というより、強制加入により1人も逃さない“網羅的な”連携の効果が有意的に見いだせていなければ納得感の薄いものになりそうな気がするのですが、いかがでしょうか。
強制加入の現状でも、「まったく連絡も取れないし顔も出さないし、というか顔も見たこともない会員」というのは存在すると思うのですが…というかもともとPTAの「男性保護者」についての連携効果はきわめて低いのでは?といろいろ考えたりするのです。
そういう意味では、「家庭単位での」強制加入に、どれほどの網羅的効果があるのかと…。

Bについては、はっきり目に見えない問題がいろいろあるだろう、という曖昧な話では許せない、というわけではなく、まあそういうこともあるんだろうなとは思うのですが、違法行為の正当化をするほどの強い根拠ではないような気がして。
というより、強制加入による目に見える保護者同士の軋轢の方が、ハッキリと目に付いてしまう私なのですが、見方がかたよってるのでしょうかね。

【5168】 とまて 2015/11/14(Sat) 22:28
@学校へのチェック機能
学校とPTAが対立状態になると学校の管理職は『任意加入だから』とさっさと退会することもあるらいしです。
朝日新聞1974年3月24日朝刊 17頁 東京 1段 記事
 校庭確保の運動で「日本一のPTA」とまでいわれた中野区立江原小のPTAが、新年度から任意加入制に切り替えることにし、会員の意思確認をしたら、半数が脱退してしまった。少ないクラスでは会員たった三人、先生も三分の一しか加わらない。この異常事態、PTAのあり方をめぐる議論とともに、感情的な対立も交錯しているようだ。
拙ブログのURLを貼ります★click here★

また、岸裕司さんの『学校を基地にお父さんのまちづくり』で、用務員さん(今はこの言葉使わないらしいですが)の失職撤回嘆願署名は、PTA規約の所為でPTAとして動けず、有志が集まって実行したそうです。

結局、いざというときに強いのは、強制加入PTAじゃなくて、保護者個人個人が自分たちの意志で集まった団体の方なんじゃないでしょうか?

学校へのチェック機能がどの辺りのことを意味するのかは不明ですけれども、学校内に保護者や地域の人の目があるというのは、一定の効果があるみたいです。
いつでも授業参観自由にして、成果を得た小学校が大阪にあるようです。


【5169】 ぶきゃこ 2015/11/15(Sun) 06:48
とまてさん、ありがとうございます。

>いざというときに強いのは、強制加入PTAじゃなくて、保護者個人個人が自分たちの意志で集まった団体

はい、それは最近も感じました。近所の交通危険箇所の改善要求の署名集めがPTA経由で保護者に回ってきて私も賛同署名したんですが、これも、長年まちづくりにかかわって委員会立ち上げて陳情したりしている方たちの主導であって、PTAは単なる回収装置なんですよね。
現状で、PTAがそういう「便利な団体」であることは間違いないんですけれども、実際おもてだって動く力もないし、また政治的な交渉も含まれてきたりすると規約上出来なくなってしまうので、しょせんは「たいして手も足も出せない団体」なんです。

学校のチェック機能、ということに絞ってみても同様で、そもそも何をどうチェックすべきで、何がOKで何がNGなのか、という基準すら、PTAは保有したことがないではないか? 対学校機能以前の問題では…と私は思うんですよね。

>学校内に保護者や地域の人の目があるというのは、一定の効果がある

これは私も同意ですし、「PTA活動をやることで保護者が出入りするのは、しないよりベター」という話はわかります。しかし、その機能が、PTA加入の任意性を担保してしまったら損なわれてしまうと怖れ、違法行為を敢行してまで「全員加入」にしなければ困るほどのことなのか? と言えば、とうてい肯定できるような話ではないような気もします。

余談ですが、私自身で言えば、PTA活動よりそうでない面談や行事や参観や、写真購入を申し込むついでに単に様子を見に行くなどで、学校に出向くことのほうがずっと多いです。今は非会員ですから当たり前ですが、PTA委員をやっていたときも、子どもが授業している間にやる活動は、まったく別室に直行して、必要なことを終えたら、邪魔にならないように余計なことはせずに帰っていましたので、たとえばそういう活動があるから先生がエリを正すのよ、なくしちゃったら駄目なのよ、強制してでも維持しなければ、と言われてもかなり???です。
うちの小学校は、もともといつでも授業参観自由ですし。

ひとつ良かったなと思ったことは、うちの子のクラスが崩壊していたときに保護者が集まって対策を考え、学校側とも話し合って、保護者が授業のヘルプに入るなどして対応したことがあったんですね。これは、PTAのクラス委員さんが主導して、クラスの保護者のアドレスを集めて連絡が取れるようにし、対策会議としての話し合いを実現したわけです。そもそも連絡先を集めるというのも、クラスでプリントを配ってもらえるPTAでなければなかなか難しいわけなので、これはPTAがあってよかった例と言えます。
ただ、その後の実際の活動では、PTAは関係なく、クラス保護者単位での動きですから、あくまで活動へのステップが楽になったということであって、PTAの存在意義を肯定するものであっても全員強制加入を維持するための違法行為を肯定するものにはなり得ないと思いました。


【5170】 FJN 2015/11/15(Sun) 10:48
ぶきゃこさん、ども!
「懸念の妥当性」を考える場合、@ABCの懸念のほかにも、
次のような懸念があるらしい――と私は読んでいます。
D
PTA法制化
  ↓
連合体PTAの事務局体制強化
  ↓
学校長経験者etc.の再就職(≒天下り)先が増える
  ↓
保護者・教員を問わずPTA活動経験者が
顧問・相談員・コンダクター・
コーディネイター・ファスィリテイターetc.として
単体PTAの運営に助言し介入し要請し監督を強化する
  ↓
単体PTAが自主性・独立性を無くす

・・・いちおう私見を述べますと、
   「暴対法」/≪暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律≫★click here★に習って
   「P対法」/≪PTA執行部による不当な行為の防止等に関する法律≫(仮の略称と仮の名称)ができるのならば
    Dの事態が想定されなくもない
――と感じます。

なお、
B「やりたくないことはやらなくていい」と
   親が子どもに教えるようになる
C「人と付き合わなくてよい」と
   親が子どもに教えるようになる
についてですけれど、
古今東西、
「親が教えたとおりに子は育たない、というのが極しぜん」
ですから、「ドンマイ!」だと思います。
ロジカルに言うと、大多数の親は、子に、
「やりたくないことはやらなくていい」
「やりたくないけれどやらなければならないこともある」
「やってはいけないとおもうことはやらないほうがいいかもよ」
とか、
「人と付き合わなくてよい」
「付き合いたければ付き合ってみてもかまわないかもよ」
「付き合うことと付きまとうこととは少々大いに違うから気をつけてね」
といったふうに、
現実世界に見合った三次元の助言をするのではないでしょうか。
一次元や二次元の助言はしないのではないでしょうか。

ちなみに私は、ひろさちやの助言が好い感じだと思います。
こんな助言です。
ゆったり、のんびり、楽しく生きた人生には
大きな価値があります。

自分は自分の好きなように生きていい。
他人もその人の好きなように生きる権利を持っています。
  ◆典拠のURL――★click here★


【5171】 ぶきゃこ 2015/11/15(Sun) 16:06
FJNさん、レスポンスありがとうございます。

Dの話なんですけれども、少し前のツイートで語られていたときあまりにものみこめないのでちょっと放置しといた部分なんですよね^o^;
PTA法制化とは、そのあとの「事務局体制強化」「天下り先が増える」などの想定から推測すると、PTAの設置または加入、そして監督がだれかに義務付けられ、活動指針や要領がきちんと定められるようなイメージの法制化を指すのですよね? 社会教育法を改正、またはPTAのほうを社会教育関係団体ではなくするなどの手法で?

そうすると、単体PTAが自主性・独立性を無くすというのは、あり得る話だと思うのですけれども、私は現行PTAのように「活動内容は不自由(実質、学校や行政のコントロール上にある)なのに、運営方法は自由(診断書を出せなどというめちゃくちゃなことが横行していても誰も注意も出来ない)」というアンバランスな状態であるくらいなら、いっそ完全に官の指示で動く団体、となったほうがまだマシなんじゃないかと思ったりしています。
少なくとも「権限と責任の一致」という点では、整合性がとれるようになるからです。

ただ、「懸念の妥当性」という観点から行くと、かなり「あり得ない」話だと思いますし、そもそも「原告全面勝訴だった時の未来」なのかそれが? というあたりがよくつながっていません。

BとCについてですが、
>現実世界に見合った三次元の助言をするのではないでしょうか。
>一次元や二次元の助言はしないのではないでしょうか。
は、御意!です。

一般社会においてPTA以外の団体はほとんどが任意加入、すなわち「やりたくなければやらなくていい」活動です。
Bのような懸念をされる方は、「現代社会は、寄付をしたくなければしなくていい。スポーツやレクリエーションも、したくなければしなくていい。そんな、ワガママな生き方ばかり子どもに見せ、そういう態度を教えている社会だ」と、暗澹とされているというわけなのでしょうか?
そうでないのであれば、なぜPTAだけをそう憂うのでしょうか?
PTAという団体と他の団体との違いが、本当によくわかりません。

私はどのように子どもに教えているだろう? と考えてみました。
「やりたくないことはやらなくていい」と教えたことはないような気がします。
「やりたくないなら、それがやらなくてもいいことなのであれば、やらなくていい」
「やりたくなくてもやらなければいけないこともあるから、やらなければいけないことならやらなければいけない」
というふうに教えてきたような気がします。
PTAの加入方法に変化があろうがなかろうが、今後もそういうふうに教えていくと思います。

また、Cについて言うと、「PTA=人と付き合うこと」というふうに考えたことがなかったので、ちょっと考え込んでいるところです。
私がPTAと決裂したきっかけのひとつに、「友達が嫌がっていることを押しつけなければならない変なカルトに巻き込まれるのはもうごめん」という心底からの感情がありました。
退会するのにさまざまな面倒くさいことがありました。
人となるべく付き合いたくない、と考えるなら、最もあたりさわりのない役職を低学年で早めにこなしてあとはスルー、というのが、快適な状態に到達するための最も近道なんではないかと想像してみたりしています。

そのように少しかみ合わない感じで理解しているので、PTAの加入方法が変わったから、子どもに「人と付き合わなくてよいよ」と教えるようになる、という道筋自体がさっぱりまだ理解できていません。
現在の私は、子どもに対して、
「付き合うのがストレスになる人とは、無理に付き合う必要はない」
「なかには、うそをつく人もいる。そういう目に遭うと悲しくなるから、がまんして一緒にいる必要はない」
というメッセージや、
「友達は大切にして、だますようなことをしたり、いやがっていることを押しつけるようなことをしてはいけない」
というメッセージなら、送ったことがあるような気がします。

学校はそもそも、たまたま作られた強制の「箱」にすぎないのに、そこでどうしても全員と付き合わなければならない、付き合っていくのがまともな人間だ、付き合っていく以外に生きる道はない、ということを明に暗に刷り込んでいる今の学校教育が、いじめ自殺につながっている可能性もあると思っています。


【5172】 FJN 2015/11/15(Sun) 18:12
ぶきゃこさん、ども!
「三次元」の助言に同意いただき感謝いたします。

ちょっと訴訟問題から離れて、
   @学校をチェックする機能
   A保護者の連携
について書きます。

学校現場のことをいうと、
   1.学校はチェックされたがっている
と考えられます。
小中学校の場合、
   いわゆる「PTA」(の役員)にチェックされたがっている
のではなく、
   保護者と児童生徒にチェックされたがっている
   (教職員にチェックされたがっている、も入ります)
のです。
いわゆる「PTA」(の役員)には当たり外れがあります。
ですから、
   保護者全員、児童生徒全員からのチェックを重視する
   (教職員全員からのチェックを重視する、も含みます)
というのが昨今の学校現場だといえます。
それが≪学校評価アンケート≫です。
いわゆる「PTA」(の役員)のチェックは
   信頼するにあたらない
とまでは言わないでしょうが、
   信頼するには心もとない
といった感じだと思います。
科学、といいますか、算数といいますか、
   多人数の人間集団のメンバー個々の考えや思いを
   その集団の一部の人間少数が代表できるはずがない、
   個々の人間には個々の考えや思いがあるのだから
――という理の当然に基づくものです。   
≪学校評価アンケート≫は、地域住民にも応じてもらう場合があります。

次に、
   2.保護者の連携という名目で保護者家庭をチェックする
という役割を、いわゆる「PTA」(の役員)は担っています。
ですから「保護者の連携不足」は、
   「保護者による保護者家庭のチェック」という機能の低下
につながる、と考える層は一定程度います。
ある意味で、「連携」による
   相互理解は相互監視
ですから、いわゆる「PTA」(の役員)が、保護者間の、
   大ざっぱな相互理解と大ざっぱな相互監視
を采配することは必要だ、と考える層が一定程度いるともいえます。
この「理解・監視・采配」は、ギャグ系のラベリングでいうと、いわゆる「PTA」(の役員)の、
   いわゆるオバサン
   いわゆるオバタリアン
の本能をくすぐるところがあります。
当たり外れがあっても、当たり外れがあるなりに、くすぐります。
いわゆる「PTA」(の役員)の、
   いわゆる男のオバサン
   いわゆる男のオバタリアン
もくすぐられるようです。

・・・と思います。


【5173】 ぶきゃこ 2015/11/16(Mon) 05:33
あ、なるほど。アンケートありましたね。
ということは、参観が原則自由で、アンケートによりフィードバックできるのであれば、どうしてもPTAに全員加入させないとチェック機能が低下する、という懸念は、何かズレたものに感じられてきますね。
無関心層にも、より現状を反映したレポートを書かせるために、PTA活動を使って引っ張り出す必要があるんだ、という主張もありそうですが、【5169】で述べた通り、そもそもPTA活動に「授業を真剣に観察する」という工程がまったくありません。「ウワサ話を交換する」「学校の備品の様子や管理職教員の顔色を知る」という効能はありそうな気がします。

PTA活動の一人一役または一子一役で、「年に最低1回は、おしゃべりをせずに真剣に授業参観する」という行動が義務付けられていたら、PTAにたいする議論も少し変わってくるかも…と思いました。

「保護者の連携という名目で保護者家庭をチェック」という視点は、もれていました。なるほどです。
ぶっちゃけ、「言うことを聞かない(=PTAの指示を軽視する)保護者が増える」という状態にたいする懸念があり、その根底には「保護者はPTAの指示に従うものだ、従うべきだ」という思想がある…とまとめちゃったら乱暴でしょうか?

実は相互監視を重視している、という説を採用すれば、重い沈黙とか、できない理由を質したりとか、「まあまあ○○さんは今年度は事情があるということだから、次年度以降お願いするということで皆さんどうでしょうか?」みたいに司会が仕切ったりとかの、マスコミでしばしばPTA問題の象徴のように取り扱われる「役員決め」などは、一定程度の層の「相互監視させたい」本能をまさにドンピシャでくすぐっている……それが、完全任意になって「誰も立候補はいませんか、あっそ」で終わってしまうようになると、PTAの存在意義として彼らが感じている大きな魅力(それを「連携」と表現している)が削りとられてしまう……という懸念になってくるわけか、とおぼろげながら見えてきた気もしました。


【5174】 猫紫紺 2015/11/16(Mon) 12:49
たいへん勉強になるスレッドです。お二人ともありがとうございます。

ぶきゃこさんの直近のレスをみてふと思いつきました。
立候補をする人がいるとして――その人の立候補動機はなんなのか検証する必要が出てくるのかも、と思いました。
現状では立候補する人は貴重ですから「ありがとう、よろしくよろしく」ですんなり決まってしまうような気がします。

こちらはただの感想です。FJNさんの

科学、といいますか、算数といいますか、
   多人数の人間集団のメンバー個々の考えや思いを
   その集団の一部の人間少数が代表できるはずがない、
   個々の人間には個々の考えや思いがあるのだから
――という理の当然に基づくものです。   
≪学校評価アンケート≫は、地域住民にも応じてもらう場合があります。

にはしびれました。まさしく御意!と思いました。
≪学校評価アンケート≫は先日書きましたが記録を取っておりません。覚えていることを書きます。

地域住民に書いてもらっているふしがある
質問が、「本校の生徒は〇〇と感じている」とあり非常に答えにくい――主語が我が子ならまだ答え易いのに。
――というわけで、「わからない」に〇をやたらつけて提出したのでした。


【5175】 ぶきゃこ 2015/11/17(Tue) 05:39
猫紫紺さん、ありがとうございます。
とりあえず、いったん@だけ簡単にまとめてみました。

@PTAが果たしている学校へのチェック機能とは…

a.チェック機能は果たせないのではないか?何故なら対立してしまうと学校の管理職が退会してしまうこともあるから。
b.明確なベクトルをもつ活動は、PTAはしづらい規約を持つ。(用務員さん署名の件、交通危険箇所改善要求などの例)
c.ただしb.にかかわらず、関連者や近隣者が明確なベクトルを持つ活動を行うにあたって、意見の回収装置とか、連絡を取り合う装置としてPTAは役に立つこともある。
d.学校内に保護者や地域の人の目があるというのは、一定の効果がある。(チェックの事実よりも、学校の被チェック感維持に役立つ)
 e. d.への反論あるいは補足として、学校が被チェック感を持つのは対PTAではなく対保護者(学校評価アンケート)である。

変なまとめ方していたらご指摘お願いします。

結局この議論の中では、「PTA加入の任意性がきちんと担保される未来がやってくると、崩壊や欠損してしまう機能」というのは見当たらなかったように感じます。

今のところ私には、
 >科学、といいますか、算数といいますか、
   >多人数の人間集団のメンバー個々の考えや思いを
   >その集団の一部の人間少数が代表できるはずがない、
   >個々の人間には個々の考えや思いがあるのだから
 >――という理の当然に基づくものです。   
というFJNさんの解説を読んで、
「ウーン、ではどうして学校は、1世帯に1枚しかアンケート用紙を配らないのだろう?」
「勝手にコピーして両親が書いて出す、というのはアリだろうか?」
「もしかしたら、理の当然に基づいて配っているわけではないのではないか?」
などという疑問を頭の中にふわふわと浮かべています。


【5176】 FJN 2015/11/17(Tue) 09:05
ぶきゃこさん、ども!
@のまとめ、について後ほど少し考えてみます。

まず、3つの疑問にインスパイアされたことを書きます。
   >「ウーン、ではどうして学校は、1世帯に1枚しか
   > アンケート用紙を配らないのだろう?」
学校からのリクエストが特になければ
「お好きにしてください」
という趣旨かと思われます。
学校が、紙や手間の無駄etc.を考慮して、
「必要十分な枚数」と判断したのが1なのではないでしょうか。

   >「勝手にコピーして両親が書いて出す、
    というのはアリだろうか?」
アリ、だと判断し、コピーして沢山だしたことがあります私。
追加質問を作って応えたこともあります。
自由に何でも書いて構わない欄には、はみ出すほど書いて、
書き足りないので別紙に書いて貼付したこともあります。
リクエストがあっても、
「リクエストを踏まえて(あるいは無視して)思い付きで反応する」
――というのはアリだと思います。
学校のテストで「▲△▲について書きなさい」という設問に、
「▲△▲について書けることがないので、
 ゴメンナサイ、○●○について書きます」
という答案を提出して、
それなりの評価と得点をゲットする例は多からず少なからず見聞します。

   >「もしかしたら、
   > 理の当然に基づいて配っているわけではない
   > のではないか?」
はい、そうかもしれません。
たとえば「瞬間的に広く民意を集めた」などのアリバイふう配布&回収&調査結果考察&公表なのかもしれません。
けれど「理の当然に基づいている」と解釈できるので、
その解釈に基づいて判断することも愉しい、
渡る世間は愉しいほうが楽しい、
――という立場を私は取ります。

学校に対するチャック機能に話を進めます。

どんな状況下でも「PTA」(の役員)には、
有効無効を問わず、果たせるチェック機能はあると思います。
「有効無効を問わず」というのは、
譬えで申せば、
   映画評論家A氏が大絶賛した映画は観ないで済む
   A氏が酷評した映画は観たほうがいい
という経験的な知見からA氏の映画評を読む映画ファンはいる
――といった意味合いでの「有効/無効」です。

基本的に有効的に学校をチェックするのは、ふつう、
  ・教育委員会事務局の指導主事やアドバイザー等の職員
  ・教育委員
  ・社会教育委員
  ・学識者
  ・見識のある人
  ・その他
だと思います。
職務としてチェックする(ギャラあり)人たちもいます。

住民としてチェックする(ギャラなし)人たちもいます。
「市民の声」といった類いの行政セクションに報せる人たちです。
東京都の江東区の例を挙げましょう。
ここのサイト(Think!PTA!)の資料ページ★click here★で、
江東区民の意見と区の回答(PDFファイル★click here★)が読めます。
その概要を恣意でコピペしますと、こんな感じです。
【意見】
公立学校のPTAの入退会は任意です。
その点を、区内の全学校に徹底してください。
自治会も任意加入ですので、その点、周知をお願いします。

【回答】
(PTAは、)
会の目的に賛同する人々による任意の団体であり、
入会を強制されるものではありません。
入学時、進級時に学校や役員から説明を行い、
さらに、研修などの機会に教育委員会からも
お伝えしております。
町会・自治会は、
住民が地縁により自主的に組織し運営する任意団体です。
江東区では、自治会設立のご相談に対し、
町会・自治会への加入及び退会は会員の任意であることを
会則に明記していただくようご説明しております。
また、町会・自治会が任意団体であることについては、
区報・ホームページ等で周知に努めてまいります。

いわゆる「PTA」に対する行政態度と
いわゆる「町会・自治会」に対する行政態度とが、
   「任意であることを会則に明記するよう説明しております」
   「区報・ホームページ等で周知に努めてまいります」
――の2点で明らかにアンバランスですが、
この時点で明らかにアンバランスな回答がなされたところに、
史的資料価値の高さも感じられます。
ともあれ、これは、
江東区の1人の住民が「学校とPTAと行政担当者」に、
「何とかマトモにしてくださいね」と言ったものだと考えられます。
行政担当者も適宜対応しているようです。
この1人の住民(おそらく)は、以下に紹介する2つの通報もしています。
具体的に学校名を明記して苦情を述べる通報2つに対し、
区役所/区政担当者も適宜回答し、まとめて「Q&A」を公表しています。
  ◆通報/回答/公表その1――★click here★
  ◆通報/回答/公表その2――★click here★

「チェックする人数」「チェックされる件数・ポイント」のほかに、
   「チェックする内容の重み」
――というものが時々あるのだと思います。

なお、チェック機能の果たし方が話題になると、
1住民の立場でダイレクトに、
「役所や行政に意見通知/苦情通報」することについて、
学校長、教頭/副校長、PTA会長、PTA本部役員などが、
   「おカミにソク頼る姿勢はいかがなものか!」
と、時代錯誤ともいえる愚痴を声高にボヤく場合がありますけれど、なんのことはない、
古くから伝わる
   ことわざ≪困った時のカミだのみ≫は現代でも効く
のだと思われます。
また、
法治システムが人間関係に保証する平等性・対等性の点で、
一般住民が行政担当者に通知/通報することは、
   「主権者が公僕/公務員を活用して使いこなす」
といった程度の公民系マジ望ましい行動の1つなのですから、
学校長やらPTA会長やらが声高にボヤく愚痴には、
「あ、そう(スマイル)」で応じるくらいが、
良識ある淑女紳士/諸姉諸兄の礼節でありマナーであるような気がします。


【5177】 とまて 2015/11/17(Tue) 20:20
そう言えば、アンケート用紙の裏に、自由記入用の罫線が引いてあったので、ワープロソフトで文章を書いて、その罫線にびっしり収まるようにPTAについての意見を述べました。内容はもう覚えていないですけれども。読んだ先生一人だけでも、PTAに不満がある保護者が居ることを知ってくれたらいいと思ったような?

不思議な設問『私は〇〇中学校が大好きだ』には、いつも「まったくそうは思わない」にチェックをいれました。

そう言えば、中学校のPTA役員だったときに、教頭先生に『携帯メール連絡網を作ったらどうか?』と言った件を副会長に話したら、『何で私を通さない?』という顔をしてましたね。意見を言っても、気に入らないのは無視するのに、自覚が無いんですね。
様々な意見を、様々な意見のまま伝達するようなことがPTA役員にできていれば、一定の信頼を得られるかもしれないですけれども、強制加入PTAで一人一役なんていうことをやっているようなPTA本部を信頼するのはとっても困難です。
人権を大切にするPTAになればこそ、大切な意見を、PTA本部に提出できる土壌ができるのではないでしょうか?

強制加入PTAで役員・委員の押し付け合いのあるPTAはAの保護者の連携を良くない方向にしていると思われ、それゆえ、@学校へのチェック機能も、低く抑えられている可能性があるような?

やっぱり、全面勝訴後の未来の方が明るい気がします!


【5178】 ぶきゃこ 2015/11/18(Wed) 05:57
FJNさん、ありがとうございます。

なるほどアンケートはきっとコピーしてもかまわない…母数管理はしていないきっと。という判断でイケイケでも問題なさそうですね^_^

ちょっと脱線してまた余談ですが、母親社会のオキテ(というか共有認識となりがちなこと)について書くと、
PTAでアンケートをとったりしたときに、「用紙の裏にまでびっしり書いてきたり別紙を添付してくるような」母親は一種の「異常な人格」「文句たっぷり」「不平不満がいっぱい」「協調性ない」「意識高いイタイ人」etc.とみなされ嘲笑されたり憐れまれたりします。
同じ行動を父親がすると、「変わってるね「熱心ね」で流されます。
面白いですねえ。

私ですか? もちろんびっしり派です^o^ そんなアンケートがあればの話ですが。

学校のチェック機能において、住民が役割を果たす、という点については私も大いに同意です。
PTA会長や役員をしていると、PTAをほかのーーたとえば集まって演奏をすることを目的としているとかのようなーー団体と同じように考え、「会員が納得しているならいいじゃないか。退会者は関係なくなった人でしょ?」という発想に陥ってしまう方もいらっしゃいます。
PTAは学校現場で活動する団体であり、場合によってはそれに汚染されうる学校をチェックする役割を持つ、広汎なステークホルダーが存在する、という視点が往々にして抜けてしまいがちである、と言ってもいいでしょう。

教育は社会のために行われる、という側面も持つので、当然、地域住民に限らず、日本という社会、ひいては世界の住民も、日本の学校教育に影響を及ぼすPTAのステークホルダーといえなくもないと思います。


とまてさんもありがとうございます。
『私は〇〇中学校が大好きだ』
そんなこと聞いてどうするんでしょうね。得点が低ければ人気が出るように芸能人でも呼ぶんでしょうか?
踏み絵踏まされてるみたいで気味が悪いです。

とまてさんの話で思い出したんですけれども、保育園の父母会の集まりで「○○について父母会としてこういう提案を園長先生に持って行ってみてはどうか」という意見を出したら、「そういうのは個人個人でやってくれますか?」と言われてビックリしたことがあります。「では父母会ってなんのためにあるんですか?」と聞いたら、「△△と##(いずれもイベント)をやるため」と明快な答えが返ってきてさらにビックリしたことがあります。
(上部団体もあって役所に改善を求めるような活動もやってるはずなんですが…^_^;)
まあそんくらいにしたほうが、いさぎよいっちゃいさぎよいんでしょうね。

「役員・委員の押し付け合い」自体が「連携」の目的を達している可能性もある…という目ウロコの話に対する態度を、私はまだ決定できていません(笑)


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